自己肯定感インタビュー vol.01 HY 仲宗根 泉 さん

ライフスタイル 2021/11/01 5383 views

kenko ISLAND60号「自己肯定感の育て方」の特集では、4名の方々のインタビューを掲載していますが、誌面では書ききれなかった内容をkenko ISLAND WEBで4回シリーズでお届けします。

第1回は沖縄出身の人気バンド「HY」の仲宗根 泉 さん。美しく心に響く歌声に癒されたり励まされたり、またテレビやYouTubeでの彼女のキャラクターに親しみを持つ人も多いはず。そんな仲宗根さんの素顔に迫りました。

profile・仲宗根 泉(なかそね いずみ)
HYのキーボード、ボーカル担当。2020年に仲宗根泉公式YouTubeチャンネル「仲宗根泉のクレームは一切受け付けません!!」を開設。2021年12月には野外フェス「HY SKY Fes 2020→2021」を開催予定。 
YouTube >>> https://www.youtube.com/channel/UC9AudnUv9qNEuT4ivOopuYg
Instagram >>> @hy_izumi

認めてもらうことを求めて

―仕事の時と、「素」の時。何か違いはありますか?

仕事をしている時はそもそも『仲宗根 泉というかぶりもの』をしている感覚なんですね。良くも悪くも冷静な自分が別の場所から客観的に自分を見ている感じです。なので、仕事のスイッチが入れば明るく振る舞うことも、人とすぐ打ち解けることも、どういう自分にも変化できます。でも素の自分は人見知り。本当の自分をさらけ出せるのは、本当に心を許せるほんの数人の友人の前だけだと思います。

―自分の自己肯定感についてはどう思いますか?

私はもともとは低いですね。子どもの頃から自分を肯定することは全然できなくてダメダメでした。これは父との関係が大きいんですが…。

父は子どもに対して大きな愛は持っているし、仲も良かったんですが、愛するが故に石橋を叩いてしまうというか、私が足を踏み外さないようにまず父がすごく厳しくあたるというか、小さい頃からずっとそういう関係だったんですね。

父は家族バンドをやるのが夢で、私がピアノを続けたのもそのためでした。ピアノをやりたくないと思っても、怒られるのが怖くてやっていた部分もあって。でも練習を頑張って弾いても、めちゃくちゃに言われるんですよ。全然褒めてもらえなくて、父を喜ばせたい、認めてもらいたいという思いがずっとありました。

いつでも父に認めてほしいという気持ちが満たされないまま大人になって、20歳くらいの時に、「もう無理だ」って自分で自分が支えきれなくなって壊れてしまったんですよね。だって、HYでCDをリリースして、CDが売れて日本で1位になっても、父は認めてくれなかった。「お父さんに認められたかったからこんなに頑張ってきたのに、それでも認めてくれないんだ!」って。泣きながら自分が思っていることを父に話したけれど、何も言ってくれなかった。だから、その時は「自分はダメな人間なんだ」って、考えることがすべてマイナスな方向にいってしまった。ダメなことが本来の仲宗根 泉なんだって。

―その辛い状況から、どうやって抜け出したのでしょうか?

2〜3年は全然抜け出せなかったですね。今考えても暗黒の時代。みんなにどうにか引っ張ってもらって、表舞台に出る「仲宗根 泉」をかぶって、どうにかして過ごしていたと思います。仕事はものすごく忙しかったから、自分の中から出てくる怒りや悲しみ、これまで長年、溜まってしまったいろんな想いを音楽や歌詞にすべてぶつけていたと思います。

それから、母の存在ですね。みんなから「マザーテレサ」って呼ばれるくらい、深すぎるほどの愛情を持っている人です。どうすれば良いか迷って悩んでいる時に、諭したり助言をくれたのが母でした。どういう風に支えたら立ち上がれるかというのを母から教わりましたね。「いーずーが娘で私は幸せ」っていうことを手紙でくれたり、愛していることを文面で残してくれたことが多くて。そういうのはすごく大事だなと、自分が子育てをしている中でも思います。

私の詩集や歌詞に「なんでこんなに心を打つ言葉が書けるんですか」って言ってくれるファンの方がいますが、私は本来ものすごくマイナスなものを持ってるし、辛さがあるから、そういう気持ちが書けるんだと思います。高校の時から自分の感情を問いかけて、自分と対話してその時々の気持ちを書き留めていました。当時は自分で自分を奮い立たせるために書いていたんですよ。悲しい気持ちを文字にすることで心の中の悲しい部分が少し消えていくというか、そういう感覚はありましたね。

比べるんじゃなくて私は私が幸せと思えればいい

―出産や子育てで変わったことはありますか?

今、娘は8歳なんですが、自分は子育ての中で明らかに変わったなと感じています。だからといって「自己肯定感100%」ということは全然なくて、今も頑張っている最中という感じ。

父と私は似ている部分もすごくあったんですね。だから、父が父の兄弟と喧嘩したりする時は、私が父の気持ちを代弁することもありました。3年前に他界しましたが、亡くなる3〜4年前からは、少しずつ私のことを認めてくれるようになっていたと思います。父を見ていたからというのもあって、自分は子どもに対してこうやって育てようという考えは持っていたんですね。自分が子どもの時代に親にどうされたら嫌か、どうしてもらいたかったという感情が強くあるから。だから、娘に対しては一対一の人として、謝るべきところは謝るし、愛していることはきちんと伝える。それは大事にしていますね。

私、3年前に息子を死産して。数ヶ月で仕事には復帰して、ものすごく辛いけど、その辛さは誰にも言えないままだった。その中で妊婦さんを見れば羨んだり、自分は苦しんでいるのに出産した人に「おめでとう」って言わなくちゃいけなかったり、なんで自分ばかりがこんな目に遭うんだっていうどうにもならない気持ちもあってとにかく苦しかった。でもどうにか少しずつ乗り越えて歩き出せるかなと思った時に、コロナになって少し時間が空いたんです。そうしたら息子への気持ちやいろんな想いが一気にぶゎーっと溢れてきて、実は自分は全然踏ん切りがついていなかったことにその時初めて気づいたんですね。それで、そういうすべてをひっくるめて、自分の気持ちをファンの皆さんにSNSで伝えたんです。そうしたらものすごい反響があって、同じように死産や流産を経験した人たちから本当にたくさんの声をもらいました。

―すごく勇気がいることだったと思います。

悶々としている中でも、子どもの頃から自分を客観視してきていたので、自分のそういう状況を冷静に見ているもう一人の自分がいて。

「このまま自分が持っていないものだけ、そして他人のうまくいっているところだけを見て、欲しい欲しいって思ってばかりなの?自分は何も持ってないの?」って自分の内側に目を向けてみたんです。

それで真っ先に思い浮かんだのは娘。それに家族は毎日笑っていて、好きな音楽もできている。私は全然パーフェクトじゃないけど、ある程度やりたいことは叶えられているんじゃない?って思えたんですよね。自分が「あの人はいいな」って思ったとしても、誰だっていろいろあるし、本当の部分は他人には見せない。この先にずっと幸せな人なんていないし、どんなに幸せそうな人でも苦しいことも悲しいこともある。たまたま私が良い部分だけ見てしまっただけな可能性もある。他人と自分を見比べて、私の方が幸せとか、あの人を見てもっと上になりたいとか、そんなことをしていたら死ぬ時にいい人生だったなんて思えないんじゃない?って思ったんです。

比べるんじゃなくて私は私が幸せと思えればいい。人と比べなくていいって考えるようにしたら、すごく気持ちが楽になって一気に力が抜けて、外にも出られるようになったんです。

息子の死に意味をつけることはできないけれど、今のように考えられるようになったのはこの出来事があったからだと思う。自分で自分を幸せにするための人生を生きればいいって、自分にも言っているし、みんなにも伝えたいですね。

▷自己肯定感インタビュー第2回のくだか まり さんのインタビューはこちら
▷自己肯定感インタビュー第3回の平安座 レナ さんのインタビューはこちら
自己肯定感インタビュー第4回の猪瀬康介 さんのインタビューはこちら

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